静修の友

#学校行事(1)

かつてはひな祭りや針供養などが行われていたようであるが、針供養などをご記憶の方はまだご存命だろうか。定山渓強行遠足というのも行われていた時期があるらしい。静修から定山渓まで歩くという行事である。

この強行遠足を再現し、実際に歩いてみようという企画を渡辺重夫先生が中心になって実行されたことがあった。教員有志で学校を夜中に出発し、てくてく歩き続け、夜が明けたころに定山渓に到着して、温泉に入るというものである。これは意外ときつかった。

かつてはこういう行事はたくさんの学校で行われていたようであるが、安全性などを理由に次々中止になっていったようである。一度支笏湖にドライブした折、高校生たちがぞろぞろ歩いて支笏湖を目指していた。聞いたら札幌開成高校の生徒たちであった。今も行われているのかどうか知らないが、こういうきつい行事は生徒も大変だが、教員も事故が起こらないように、健康管理や道々の要所に立って指導するなど安全面でなかなか大変であろう。

ただ、ハードな障害物を設定し、それを自分の力で乗り越えさせるという体験は大事だと思う。やりきったことがもたらす達成感を若いうちに体験しておくことは一つの自信としてその後の人生に生きてくるのだと思う。総じて、時代の流れとしてそのハードルはどんどん低くなってきたように思う。

受験もそうだ。たとえば団塊の世代は生まれてからずっと競争にさらされて、もまれてきたのだと思うが、受験倍率を今と比べればとんでもなく高かった。相当頑張らないと大学に合格するのは困難だった。当時は受験戦争という言葉もあった。その状況については様々な批判もあり、確かにそうだとも思う。しかし一方で、それは現代では少なくなった青春期の通過儀礼的なものとして、越えていくしかないハードルとして擬似体験させるという側面ももっていたかもしれないとも思う。様々な民族や文化において成人として社会に認められるためには通過儀礼として何らかの困難な課題をクリアすることが求められるというシステムがあった。現在の社会ではそうしたハードルは下げられ続けてきて、それはそれでいいことなのだが、高い山を越えたという達成感が持ちにくいという点でいえば、受験の厳しさであれ、強行遠足のきつさであれ、青春期に経験しておくことの意味は大きいと思う。すべてを低く均して歩きやすくするだけでなく、その道に時に人為的にでも大きな石を転がしておくメリハリも必要だと思う。教師根性が抜けきらず、すっかり話がそれてしまった。話を戻す。(・・・続く)

 

 

#うんこネタ4連発(4)

「官能の一夜」

心臓検査で入院していた時の話である。深夜、妙な声で目が覚めた。カーテンを隔てた隣のベッドの重症患者の所で影がもそもそ動いている。「アッツ、アッツ、もっと、そっと」「もうちょっと脚をあげて、痛くないようにゆっくりするから、」「腰を浮かして、それでぐっと力をいれてみて」押し殺したその声は、ぼくがあこがれていた若い美人の看護婦さんの声ではないか。「膝をもうちょっと立てて、そう、いいわよ」「アッ、アッ、ウーン」「もう少しよ、頑張って、ほらもっと、そう、もうちょっとよ、お腹にぐっと力をいれてみて」「アアッ、出そうよ、出るよ」「硬いのが顔を出してきたわよ、ぐっと力を」「ウーッ、アッ、アアー」カーテンガ揺れ、淡い光に影が動く。やがて深いため息。

と同時に便の強烈な臭い。固くなって肛門につっかえて出なくなった便をかき出したのだった。他の患者の眠りを気遣って押し殺した看護婦さんの声と、カーテン越しに揺れる影は実に官能的であった。と同時に、彼女が本当に天使と見えた。

 

*こんな具体的な描写はしなかったが、入院体験から、将来君たちはどんな仕事に就くかわからないが、それがどんな職業にしろ、その仕事は自分のためであると同時に、他者のための行為でもあるのだから、その道のプロであるという気持ちで自分を磨いてほしいというような話をした記憶がある。

#うんこネタ4連発(3)

「便所紙、一枚」

今では何という歌であったか全く思い出せないのだが、韓国の女性歌手が韓国語で哀しみの情感を切々と歌い上げた曲を聴いていた時のこと。韓国語は全く分からないので、そのメロディと歌声の哀感に浸っていたら、繰り返されるフレーズが突如「ベンジョガミイチマイ」と耳に聞こえてしまったのである。一度そのように耳が聴いてしまうと、何度聴きなおしてもそう聞こえてしまうのである。そのメロディの哀調から考えて、「あなたと別れて、つらいのよ」みたいな、女、涙、酒、別れ、ため息的なニュアンスの歌詞なのだろうと想像はつくが、耳が聞きとってしまった「ベンジョガミイチマイ」との落差に頭が分裂してしまったことがある。

トイレで美しい女の人が用便を果たしたものの、紙がなく、涙を流しながら、こぶしをきかせて「神よ!」ならぬ「紙よ!」と悲劇的状況を歌い上げているようで、なんともちぐはぐで一人面白がったことであった。極限状況に置かれた人間の哀感が実に深くにじみ出た歌であった。

 

*この歌手はキム・ヨンジャではなかったかと思うが、なんという歌であったかは思い出せない。ひまなときに、そう聞こえる歌を探してください。

#うんこネタ4連発(2)

「流れぬ便」

 

 汚い話ついでに、妻が入院してしまった時の話である。そのころ中学生であった長男を頭に三人の息子と一匹の犬、一匹の猫の世話をするはめになった。掃除、洗濯はそんなに大変ではなかったが、食事にはまいった。一番困ったのは、分量の加減がわからないことであった。適当に本を見ながら作り終えたら、ページの最後にこれで十人前ですなどと書いてあって、ギョエーと仰天したりした。しかし、残すのはもったいないので、死ぬ気で食べろと命じて、うまかろうがまずかろうが、量だけは息子たちの腹に詰め込ませた。

 「お父さんのやりかたは無茶苦茶だ」などと文句を言っていたが、ある日、これを見ろと長男に便所に連れていかれた。「無理やりいつも食わせるからこんな巨大うんちが出て、流れていかないぞ」と言うのである。確かに巨大だった。太さといい、長さといい、尋常ではなかった。何回流しても、そのたびににゅりゅにゅりゅという感じでもどってくる。仕方ないので、責任をとって、僕が割り箸で砕いて流したのだった。

 

 *コーンスープがまずくなったらごめんなさい。このころだったと思う。まだ小さかった三男を預けられないとき、授業の間、静修の購買や図書館で面倒を見てもらったことがあった。本当に助かりました。感謝しております。その三男も今年結婚しました。

 

うんこネタ4連発(1)

 この欄に書いたぼくの文章を読んでいて、昔ぼくが書いたうんこ話を読んで笑ったことがある、という反応をいただいた。また同期会で、授業中に子育てはいろいろ大変だよと話した話の一つをいまだに記憶しているという方がいた。こうしたネタはかつて札幌であった全国私学教育研究集会に参加された先生方向けの広報紙に連続的に掲載したこともある。若い頃の文章だが、今、読み返すと、まじめな教員の研究集会広報紙によくこんなものを載せてもらったもんだと冷や汗が出る。ということで、その中から、うんこ体験のネタで書いたもの4本を拾い出して再掲載させていただこうと思いついた。笑って読んでいただければ幸いである。

 「黄金色のリサイクル」  

  わが息子がおしめをしていた頃の話である。仕事から帰って、疲れてビールを飲み、ストーブの前で僕はうたた寝をしていた。髪の毛を引っ張られ、ねぼけ眼で首を持ちあげると、息子が小さな親指と人差し指に何かつまんで、マンマ、マンマというのである。菓子くずか何かであろうと思い、アリガットとかいいながら口に運び、かみくだいて飲み下したら、口中に異様な臭いが漂い、パッチリ目が覚めた。

 息子のむき出しの尻の丸みのむこうに、ずっぽり脱げ落ちたおしめがみえた。いやな予感がして半身起こすと、ころころしたウンコと一緒に未消化のまま転がり出たトウモロコシ粒が散らばっていた。アヒョーッととびあがったが、時すでに遅かった。チョコレートまぶしならぬウンコまぶしの黄色いトウモロコシであったのだ。昨日のコーンスープを温め直していた妻が台所で、田舎のばあさんの挨拶よろしく、腰をペッコン、ペッコン折り曲げて「バーカ、バーカ」と笑い転げていたのである。親子二代の腸管を下って消化された幸せのトウモロコシなのであった。トウモロコシとしても本望であろう。(中略)

 もし人間がウンコを食って生きていくことが可能なら、これは永久運動装置に似た究極の自己循環サイクルであって、食糧問題もいっぺんに解決するだろうなどと馬鹿なことを考えてしまうのである。(後略)