静修の友

#ブラックアウトの夜(静修百物語 14)

机の上に、10円玉を置き、鳥居の絵や数字や50音を書いた紙を置きます。みんなで10円玉の上に手を置き、いろんな質問をします。十円玉が動いてとまった文字や数字をつなげていくと、コックリさんからの託宣がわかるという遊びです。私たちは笑いながらも真剣に、夢中になりました。1人の友達が「私の未来を教えてください」とお願いし、コックリさんをはじめました。返って来たその答えは「お・ま・え・は・す・で・に・し・ん・で・い・る」という非情なものでした。友達は「げーーー」と叫び、顔面蒼白になって震えていたのです。その時同時に、私の頭の中で「アチョ、アチョ、アチョ、アチョアチョアチョ」という意味不明な叫び声が響いたのでした。それでも、私たちはめげずにコックリさん遊びを続行しました。

ところが、やがて突然、一人の友達が変になったのです。何かに憑依されたのでしょうか。意味不明の言葉をつぶやき出し、床に倒れて口から泡を噴き出ししまったのです。慌てて先生に連絡し、救急車で病院に運ばれていきました。「アチョ、アチョ、アチョ・・・」はこっくりさんからの「もうやめろ」という警告だったのかもしれません。幸い、翌日には元気に登校してきましたが、もうこんな危ない遊びはこりごりだと思いました。でも、みんなで輪になって囲むという構図の共通性を「かごめ。かごめ」遊びや「コックリさん」占いに感じます。これも土俗的な吉凶占いに起源をもつのでしょうか。」

そこまで話すと、その女学生は「ふーっ」と蝋燭に息を吹きかけ灯を消したのである。

(ろくわー(六話))と岡部。岡部は真剣な表情で、「興味本位で、そんな危険な心霊遊びをしては絶対にいけません。どうしてもやりたかったら、きちんとした霊能力者に指導者としてサポートしてもらわねばいけません。素人が面白半分にやったら取り返しのつかない精神破壊を招きかねないのです」と数珠を揉みながら諫めた。「そういう危険性があるから、この部活は公式に認められないのです。みなさんの慎重な行動を望みます」と松平。

(・・・続く)

#ブラックアウトの夜(静修百物語 13)

「口碑伝承の童謡ネタに触発されまして、私も「狐狗狸」という危ないお話をしてみたいと思います。」と5人目の女生徒が蝋燭に火をつけた。

「みなさんはコックリさんという遊びはご存知だと思います。後で知ったのですが、あの遊びの起源は、日本の農耕の共同体に伝わる土俗的な吉凶占いの習俗にあるという説があります。

今年が豊作かどうかは農民にとって生命にかかわる最重要な関心事でありました。凶作は飢饉を招き、死を招きます。科学が未発達な時代、人々は呪術的なものに頼っていたのでした。

未婚の若い感受性の強い少女を座の中心に座らせ、周りをたくさんの男女の村人が円形に囲みます。囲んだ人々は矢継ぎ早にいろんな言葉や問いを、中心に座している少女に投げかけます、少女は必死に答えようとしますが、やがて、その少女の精神のキャパを超えてしまいます。そうすると少女は異常な精神状態に放り込まれて、失神したり、意味不明のことをつぶやいたりしはじめます。いわゆる「神憑り」状態になるのです。そこまで追い込んでから、その年の豊作・凶作などを聞き、その託宣をその年の生産計画の目安にし、豊作を祈るのです。少女の声とも思えない野太い声がかえってきたりしたのだそうです。

ただ、これには問題がありました。「神憑かった」少女が、しばしばその状態から正常な精神状態に戻れないということがしばしば起こったのです。その中で、本当に霊能力が高かった女性はその後、恐山の口寄せのイタコになったり、村の神社の巫女や新興宗教の教祖に祭り上げられたということです。

私は、「かごめ、かごめ」の伝承遊びは構図的に、その神事が零落して子どものあそびに転化したのではないかとにらんでいますが立証出来る証拠資料があるわけではありません。

ああ、話は、こっくりさんでした。ある放課後のことです、仲良しグループ数人で図書館に行きました。ちょうど図書館司書の先生も担当の先生もいませんでした。これ幸いと私たちは、図書館の閲覧机を囲んでこっくりさんを始めたのでした。「狐狗狸さん」とも書くようです。(・・・続く)

#ブラックアウトの夜(静修百物語 12)

5人目の女生徒が、4話を話した生徒にむかって、「その楡の木の女学生の話と重なるような体験をしたことがあるよ」と言うと、蝋燭に火をつけて話し出した。

「これは私自身の体験で、「後ろの正面」というお話です。放課後、友達と「あの担任、サイテー」などと、その日叱られたうっぷんをぷんぷん訴えながら生徒玄関を出たんですよう。そのとき、突然、童女たちの歌声が耳に聞こえてきたんですよう。

♪かーごめ、かごめ、籠の中の鳥は、いついつ出やる、夜明けの晩に、鶴と亀がすーべった、後ろの正面だあれ?

歌詞の意味はよく分かりません。でも、子どもの頃にこの童謡遊びをしたことがあったので、友だちに、「かごめ、かごめ やろ やろ」と誘ったのですよう。みんなで静修の森に入り、その真ん中辺で、私は手で目を覆い、しゃがんだんですよう。友達が皆で手をつないで私を囲みました。そして始まったんです。歌いながら私の回りを回り始めました。

♪かーごめ かごめ 籠の中の鳥は いついつ 出やーる

夜明けの晩に 鶴と亀がすーべった 後ろの正面 だーれ

私は、「籠の中の鳥」は今、みんなに囲まれてしゃがんでいる私の姿のことだろうなあと思いながら、でも「鶴と亀がすべる」ってどういうことなんだろうと思ったのでした。そして「後ろの正面 だーれ」で、目を覆ったまま立ち上がり、振り向いて、ぱっと両手を目から外した時、私の目に映ったのは大きな楡の木でした、急に顔を上げたせいでしょうか、視線は楡の木の上のあたりに注がれたのです。その楡の木の一番上のあたりにあったのは、枝にからまるようにしてなびいていた真っ黒な長い女の人の髪の毛でした。そこに人の姿があったかどうか覚えていません。とにかく黒々とした髪の毛が枝に絡みつくように風に揺れていて、私は思わず尻餅をついてしまったんですよう。もしかしたら、第四話のかくれんぼで樹上に隠れっぱなしになった女生徒だったのかもしれないと、お話を聞いていて思ったんですよう。

まだ、持ち時間があるので、関連してもう一つ話させてください。LHRの時に、やることがなかったのか、やることを考えるのが面倒だったのか、横着な担任に連れられて、護国神社の境内まで歩いて行って、そこでクラス全員で「だるまさんがころんだ」という遊びをしたんですよう。「だーるまさんがこーろんだ」という鬼の声のタイミングに合わせて、私はピタッと止まりました。その時、私の隣にクラスメートではない、見たこともない長い黒髪が印象的な女子生徒が、歌舞伎の「見栄」のような両手を開いたポーズで静止して、私を見てにこっと笑ったんですよう。なぜか私にはすぐ分かりました。この子は楡の木の黒髪の少女だと。次の「だーるまさんがこーろんだ」の時にはもう消えていました。みんなと一緒に、また遊びたかったのかなあ。」

「ごーわー(五話)」と岡部。数珠のじゃらじゃら。「古い童謡はみんな謎めいていますね、「あの子が欲しい」と手をつないで向き合う遊びもありましたねえ。伝承歌にはどんな歴史の背景があるのでしょうねえ。また鬼ごっこをして彼女を見つけてあげられたら、こちらの世界に帰って来れたのかもしれませんねえ」と岡部。「古くから伝わるわらべ歌や子守歌には、今では意味の分からない謎めいたものがたくさんありますねえ」と松平。(・・・続く)

#ブラックアウトの夜(静修百物語 11)

翌日から行方不明として大規模な捜索が何日も行われましたが、ついにみつからぬまま捜索も打ち切られました。それ以来、少女は樹上生活者となったのであります。やがて、その魂は鬼と化し、その楡の木の守護霊になったのだと言い伝えられているのです。

ところが、創立40周年を期して、新校舎(今の5階建て校舎)が建設されるのに伴って、その楡の大樹は無惨にも切り倒されてしまいました。

今、静修の森の真ん中にある楡の木はその二代目です。ときどき、見上げてみてごらんなさい。たまに、運がよければ、昔の袴姿の制服を着た女学生が樹上から登下校風景を見下ろしているのを目にすることができるかもしれません。そうそう、その初代の楡の木の幹が切り倒された後、それを輪切りにしたものを、手先の器用であった伊藤剛先生が置物に加工されたときいております。ずっと正面玄関入り口に飾られていましたが、今もあるのでしたか。鬼になった木登り少女は時々、夜中になると木から降りて来て、そのくっきりと年輪の浮いた楡の木の置物を愛おしそうにそっと撫でていくのだということでございます。

その初代の楡の木から芽を出していたひこばえを立派な盆栽にしてあり、創立60周年の記念式典のシンボルとして大事に飾られていましたが、その後、枯れてしまったそうです。木登り少女はその枯れた盆栽の楡を見ながら涙を流していたと語り伝えられております。

そろそろ蝋燭の灯が消えそうになってきました。私の話はこれで終わりとします。」

蝋燭が消えた時の煙と独特のにおいが漂い、「よんわー(四話)」と岡部が告げる。「ぼくも授業中に教室の窓から、楡の樹上で素早く移動する影をみたことがありましたねえ」と松平。(・・・続く)

#ブラックアウトの夜(静修百物語 10)

「ちょっとプールネタから離れてみようか。」と岡部。

「では四番手をつとめさせていただきます。四と言えば「死。」嫌われる数字ですが、私は四番手を光栄に存じます。」やたら元気な小柄な女生徒。

「これは、私の近所に住んでおられる静修の卒業生だというおばあちゃんから聞いたお話です。今の校舎に改築される前には大正時代に建てられた本校舎と昭和14年に建てられた新校舎という二つの建物があり、そのL字型の校舎の間の中庭に、2階の屋根まで届く大きな楡の木があったそうです。そんな時代の「木登り少女」というお話です。そのおばあちゃんの口調を借りてお話しします。

放課後、仲のいい友達十数人でかくれんぼして遊んだことがございました。鬼はその楡の木に向かって腕を当て、その腕で目隠しして、「もういいかい」。鬼以外の人は「まあだだよ」と言いながら隠れる場所を求めて散っていったのでございます。「もういいかい」。「まあだだよ」。そのなかの運動神経抜群の腰の辺りまで伸ばした髪の友達は、鬼の意表を突こうとして、鬼からは完全な死角になるその楡の木にするすると登って行ったのです。「もういいかい」。「もういいよ」。鬼の視線は目線の高さで隠れている友達の姿をサーチし、「○○ちゃん、みっけ!」と次々と見つけていきます。でも、鬼の目にとって、垂直方向は完全な死角になるので、楡の木のてっぺんまで上って、枝にしがみついている少女はいつまでたっても発見されません。楡の木の少女はかたくなな性格で、遊びにも潔癖です。見つかるまでは、死んでも降りてやるものかといつまでも枝にしがみついて降りようとはしません。

その内、日は落ちて暗くなり始めました。何度か鬼は交替し、鬼ごっこがくりかえされました。でも、やがて鬼ごっこにも飽きて来た様子。「もう、やめにしようか」と一人が言い、「もうおうちに帰んなきゃ」ともう一人が応じると、その鬼ごっこは終わり、中庭の隅においてあった学生カバンを抱えるとばらばらと帰路につき始めます。みんな木によじ登って隠れた少女のことはすっかり忘れています。楡の木の上に取り残された少女は、繁茂している楡の葉陰から、その様子を見下ろしていました。でも、遊びにも潔癖なその少女は、見つかるまでは決して姿を現してはいけないのだと思い定めていたのでございます。(・・・続く)