#講演会や文化行事など

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静修に勤め始めたころに驚いたことがいくつかある。60周年記念誌の編集作業をしていた時の資料に、毎年行われていた文化講演会の講師の名前があった。渡辺淳一、佐藤愛子、岡本太郎などが講師に呼ばれていたと知り、びっくりしたのである。その60周年の時にはその講演会の担当を任され、『いないいないばー』とか『龍の子太郎』、モモちゃんシリーズなどで知られる児童文学者の松谷みよ子が講師として候補にあがり、直接、電話して交渉したことがある。最初その電話は助手のような女性が受け、すぐに本人が出てこられて緊張した記憶がある。幸いにこころよく講師を承諾いただき、ほっとしたのを覚えている。当時の松谷作品のテーマが戦争だったこともあり、その事前指導にエネルギーを使った。当日は千歳空港まで迎えに行き、講演後、夜に会食していろいろ話した記憶がある。氏からはサイン入りの著書をいただいた。氏は民話の収集にも熱心で、その『現代民話考』全8巻(?)は静修図書館にあると思うが、その中の1巻に「学校の怪談」があったように思う。

以後も毎年、文化講演会は継続され、70周年の時の講師は思い出せないが、80周年の時の講師は椎名誠であった。身体が大きくてがっちりした、さすがに探検好きの作家だと思ったことである。その『岳物語』という作品は子育ての最中であった当時のぼくの愛読書であった。

毎年の講演会は全校生徒を聴衆としていたが、やがて特定の1学年を対象にするように変わったように記憶する。聴衆の人数が多ければ多い程、集中させるのが難しいという事情も働いていたのかもしれない。私語や居眠りといった講師に対して失礼なふるまいを注意するのに規模が大きいと手が回らないのである。先日、新聞に大学の先生が道内の地方の高校で講演した時のことを書いたコラム記事が載っていた。生徒の聴く態度の無礼さに怒り、それを注意しようともしない先生たちに対しても憤っていた。その気持ちはわかるが、一般の講演会のように、その演題や講師への関心をもって集まった聴衆で構成されるのとは違い、みんなが興味を持っているわけではない多人数の生徒に半強制的に話を聞かせるのは容易なことではないのである。今も行われているのであろうか。

他に、図書館講演会というのが毎年図書館内で任意参加として行われていた。規模としてはちょうどいいくらいだが、放課後実施で任意なだけに、講演を聞く参加生徒を集めるのに苦労したのであった。作家の「探偵はバーにいる」で知られる東直己や直木賞作家の藤堂志津子にも講演してもらった。藤堂は直木賞受賞直前だったと記憶するが、受賞後だったらとても来てもらえなかったであろう。

これも毎年行われていた文化行事は音楽や映画や演劇の鑑賞を行なうもので、よく教育文化会館を会場にして実施されていた。本物の芸術に触れさせようという意図で始ったのであろうと推測する。

さて、もう一つ、静修に赴任した当時驚いたのが、「静修高校研究紀要」と「静修教科研究」という2誌が毎年発行されていたことであった。ぼくもよく書かせていただいたが、前者が個々の研究テーマに基づくレポート類、後者は教育実践の研究例や研究会の参加報告で構成されていた。こういう紀要冊子は大学では多く発行されているが、高校でそういう誌を出しているというのはほとんど聞いたことがなかったのでびっくりしたのである。今は、だいぶん厚さが薄っぺらくなってきたようだが、この2誌の編集企画と利用の仕方によっては教育力の底上げに大いに資すると思いもする。

いずれにしろ、1学年が12とか13クラスとかであったころは学校に様々な意味での勢いがあったことは確からしく思い起こされるのであるが、あるいはそこには回想的な美化の心理が働いているだけなのかもしれないとも思いながら書いてみた。

#講演会や文化行事など」への5件のフィードバック

  1. 文化講演で印象的だった講師は著名な画家。あまり講演に対して準備もなく(?)、すぐに「何か質問はないか」と切り出し、会場がざわざわし始めるとうるさいと怒り出す始末。教員が何とか質問し、とりなすものの、予定時間を持て余して立ち往生。自分は有名人だから質問の応答で時間をつぶせるとでも思ったのか。人選を間違ったと思われる講演でした。

  2. 高校での周年記念行事、文化講演会、芸術鑑賞会など沢山の著名人の講演や音楽、劇、落語等々を聞きました。
    全部は覚えていませんがピンポイントで心に残った言葉、フレーズがあり、場面場面で思い出し励みになっています(*^^*)
    企画にあたった先生方のご苦労様は計り知れませんがどうかこれからも続けて頂きたいと思います!

    • 小松さんは購買勤務なので高校生活の延長で学生気分を味わえていいですね。いつまでも若々しくいられそう!😉

  3. 私は映画「南極物語」を見に行ったのが記憶に残っています。お名前は思い出せませんが、医師の方の講演もあったと思います。

    岡本太郎氏の講演は面白そうですね。私はこの人との出会いで自分の生き方の方向性が決定づけられた体験はないですが、中には大きく影響された方もいるかも知れないですね。

    私は世界史の倉部先生が静修を退職された時の最後の生徒だったんですが、倉部先生の退職の理由が(劇団名は思い出せませんが)東京にある演劇の劇団の講師として、新たな人生を歩むことにしたとお聞きし驚いた記憶があります。

    • 倉部健治先生は、お嬢さんの美季さん(昭和56年卒)が新制作座の劇団入りをきっかけに一家揃って東京に移住することに。静修の演劇観賞が縁で劇団札幌の後援会長を22年間務めたこともあり、新人の教育係を請われたそうです。

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