#少年の悲しみ

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ぼくは国語の授業で、教科書とは関係なく、自分が面白いと思ったり、生徒に是非読んでもらいたいという文章をプリントしてたびたび配っていた。その一つにボブ・グリーンというアメリカのコラムニストの『アメリカン・ビート』(河出文庫)の中の「野球そして人生の真実」という文章がある。それを何度かプリントして配ったのであった。

9歳になるブレット少年は野球が大好きで、両親にリトル・リーグで野球をやらせてくれと頼んでいた。両親からやっと許可が出て、少年はうれしくてうれしくて、早くからユニフォームに着替え、誰よりも早く練習場所に行くようになる。ところが、「最初の何ゲームがすぎたあと、練習を終わって帰ってくる息子の様子がおかしいことに両親は気がついた。少年の心の秘密は詮索しないのがいちばんいいのだが、ふたりは放ってはおけなかった」。コーチはうまい選手を優先し、ブレットは1試合に最低の1イニングだけしか出してもらえないのであった。そのイニングが終わるとすぐにベンチに下げられる。自分がフル出場する時を待ち、期待に目を輝かせてベンチにいる少年の描写と、その少年の様子を遠くから見て、切なくて涙が出そうになっている両親の描写が胸を打つ。

「もうすぐ今年もシーズンが終わろうとしている。ブレットは、もう四時間前にユニフォームに着替えなくなっていた。時計を見ることはなくなった。まだ試合には出かけて行くが、幻想は抱かなくなった。家でも野球の話は、まったくしない。

ブレットの両親は、この経験のなかに教訓を見いだそうとしていた。毎年夏になると、アメリカ中の何千という町のたくさんの少年たちが同じようなことを経験する。息子にはいい経験になるだろう。息子は、人生や夢についてなにかを学びとるにちがいない。夢を信じすぎることが、どんなに危険なことかも思い知るだろう。(中略)

ある晩、ブレットは両親に、来年の夏は野球をやらないよ、とぽつんといった。その目は夏がはじまる前のように輝いてはいなかった。それが両親にとっては、いちばんつらかった。ブレットの目は、もう前のように輝いていなかった。」

プリントは配るだけで、余計な解説はしなかったが、たとえば部活でレギュラー選手と控えの選手では世界の見え方は違うのだと想像してもらいたいと思った。高校生ぐらいだとそんなことは慣れて当たり前のことなのかもしれないが、違う立場の人間の心を様々な場面にあてはめて想像する力が育って欲しいと思ったのである。前にコメント中に、ある競技で強豪の学校のチームを選ぶか、弱くてもそこで活躍できる学校のチームを選ぶかという「鶏口牛後」的な話がちらと出ていたが、100名以上をかかえているような高校野球や高校サッカーの学校の試合中継を見る度に、ベンチメンバーにも入れずに観覧席で応援する生徒の映像を見ていると(3年生が卒業すれば、今度はレギュラーになる生徒もその中にはいるだろうが)その気持ちを想像してしまうのである。試合に出て活躍するだけが部活の意味ではないという考え方はありうるが、正直なところ心の中には割り切れないものを抱えているのではないかと思う。そこをケアするのも指導者の大変な仕事なのだろうとは思う。

この「野球そして人生の真実」をプリント配布したもう一つの意図は、この少年や両親のせつなさ、つらさへの共感力を生徒には持ってもらいたいと思ったのであった。卒業していろんな体験をへて、そういう感性は鍛えられていくのであろうと思ったが、その感性的な成長のウオーミングアップという思いもあった。

ぼくは小さい子が泣く姿に弱い。先日札幌駅近くの交差点で信号待ちしていた時、小さな男の子が、「ごめんなさい、ごめんなさい」と、お母さんを見上げて泣き叫んでいるのに遭遇した。何があったのか、お母さんはひどく怒っていて、その子を無視している。「ごめんなさい、ごめんなさい」と言いながらすがりつく男の子の手を振り払って、信号が変わるや、男の子を置き去りにしてさっさと歩き出した。しつけということなのかもしれないが、ぼくは心配になって、泣きながら追いかける男の子に寄り添って歩いたのであった。一瞬、男の子に「どうしたの」と声を掛けようとしたときに、お母さんが立ち止まり、乱暴に男の子の手を掴んでひっぱっていった。余計なことと思いつつ、ちょっと心配になってすこしの間その後をついていったのである。後ろの雄太郎である。お母さんの腹立ちは続いているようであったが、まだ「ごめんなさい、ごめんなさい」と言い続けている男の子の手を掴んで並んで歩き出したのでほっとしたのであるが、その時、ぼくの心に唐突によくわからない悲しみの感情が噴き上げたのであった。そのときの「ごめんなさい、ごめんなさい」の声はまだ耳に残っている。人生の助走段階にあるちいさな子どもを必要以上に悲しませてはいけない。その時も、「野球そして人生の真実」の少年の姿がかぶさってきたのであった。

#少年の悲しみ」への11件のフィードバック

  1. 素晴らしい本との出会いを紹介していただきました。この中で私の心に響いたフレーズ、「せつなさ、つらさへの共感力」というものです。そして最後のエピソードのチョイスで、「人生の助走段階にある小さな子どもを必要以上に悲しませてはいけない」ということに胸を掴まれました。
    読まれた皆さんの感想は如何でしょう?

  2. 『選択肢』
    強豪チームを選ぶか弱くても活躍できるチームを選ぶか。ある選手は強豪チームを選び何年後かにスタートメンバーまではいかないが試合に出るのに欠かせない選手となった。
    ある選手は中学までは無名の田舎から来た選手。静修の厳しい練習にたえチャンピオンチームからスカウトを受けるまでになりそのチームへ入部した。
    ある選手はチャンピオンになりたいし試合にも出たいとハングリー精神。ならば少しランク下げのチームに入り強豪チームを倒して自分のチームがチャンピオンになればいいと。そんな考えを持つ選手もいた。結果そんな甘くはなかったが。

    ずっとスタメンで来たが実業団でベンチ入りの経験をし人生始めての負けを知った気がします。もがいていた自分、弱い自分を自分で認めた時少し楽になった。そんな情けない自分を黙って見ていてくれたのが両親。
    札幌に帰ってきた時は全てが楽になった。
    この話しになると熱くなる自分(笑)
    西一さん『アメリカン・ビート』のプリント下さい(笑)(^w^)

    • 勇らんどさんの半生を語られたのでしょうか?自叙伝を語ると誰でも一度は作家になれると言われていますが……。

  3. 夢を信じる事は危険。子供も身をもって学ぶんですね
    子供が幼少の頃、勉強や習い事で思い描いていた通りにならなった時見守る事しか出来なかった自分が切なくて胸が苦しくなったのを思い出します。
    今は結婚した息子や娘には「人生そんなもんさ」とバッサリ言えますが💦💦

  4. その親子は、自分じゃないか?…と思い出し。
    切なくなりました。
    主人の仕事の関係上、ほぼ母子2人きりの生活。
    キチンとしなきゃいけない、時間割り通りに1日を過ごさなきゃいけない、良いお母さんじゃないといけない、完璧じゃないといけない。 カンペキさんが、取り憑いていたのかも(笑)
    ある日の散歩道、2歳になり…お喋りが上手になってきた頃…。
    自分は、本当はもう少し後に産まれてくる予定で、もっと優しいお母さんのところに行くはずだった。雲の上から、下を見ていたら、お母さん←私の事…が、いつも泣いていてかわいそうになったから、少し早いバスに乗ってお母さんのところに来た。と、言うような事を話していました。
    確かに、仕事のストレスで 、青白い顔…激ヤセ…していた頃。
    私を助けに来てくれたのに、怒ってばかりだなぁと、ちっとも良いお母さんじゃない💦と、反省しましたが…。

    今は、ダラダラさんに取り憑かれています。

    主役がいるのは、脇役がいるから。と、よく聞く台詞ですが…どちらの立場でも、相手の心を読み取れるゆとりある人に、人やチャンスが近寄るのか?人生の真実…まだまだ、見習中です。

    • 前に聞いたことが……!お腹にいた赤ちゃんが語ったことってそんなことが現実にあるものなんですね!ビックリしました!

  5. 『ごめんなさい少年』

    後ろの西一・・・あっ雄太郎は小さな少年に寄り添いなぐさめてあげたかったのではなかろうかと想像する。
    回りには雄太郎以外にも人はいたと思うが世間の目はどうだったのだろう。
    他人にしかも見ず知らずの子供に優しい気を注ぐ西一らしいかもしれない。あっ雄太郎さ。
    第三者から見るとしつけ、叱り方が過剰すぎるように見えてしまうのだろう。
    お母さんも後ろの雄太郎の存在に気づき自分の過剰さに気づいてくれたらと思いました。

    • 最近、幼児虐待の報道が多くなったような気がします。他人がどこまで介入出来るものなのか難しいですね。

  6. 周囲を全く確認しないでダァーーーと走りだしてしまう、自分が欲しい物を勝手に持ってきてしまう、兄弟姉妹で単にじゃれていたはずなのにどちらかが大泣きしてしまう
    幼い時は別に珍しくもない光景のはずなんですが、今は本当に周囲の目が優しくない気がします。
    だから余計に、走るんじゃない、騒ぐんじゃない、〇〇するんじゃないと言ってしまう
    でも子供は周囲なんて気にしなーい、あぁーイライラするー、もう少し全体的にそんなもんじゃなーいの空気になったらいいなーとは思いますね。

    虐待は親も辛い何かあるんだと思います。でも確かにどこまで入っていいものか迷う部分は多いですよね。自分でも身近におきたらどうしたらいいものか、きっと悩むと思います。
    誰だって自分や自分の家族以外の人の人生にかかわるのは、なるべく避けたいと思いますよね。
    誰かが、何処かがじゃなくて、色んな職種の方達が複数で動くみたいことがあるといいでしょうかね。難しい問題だと思います。

    • 虐待死などという事件が起きると救ってやれなかった周りの対応がどうだったのかということが問題視されますよね。難しいですね!

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