かつてはひな祭りや針供養などが行われていたようであるが、針供養などをご記憶の方はまだご存命だろうか。定山渓強行遠足というのも行われていた時期があるらしい。静修から定山渓まで歩くという行事である。
この強行遠足を再現し、実際に歩いてみようという企画を渡辺重夫先生が中心になって実行されたことがあった。教員有志で学校を夜中に出発し、てくてく歩き続け、夜が明けたころに定山渓に到着して、温泉に入るというものである。これは意外ときつかった。
かつてはこういう行事はたくさんの学校で行われていたようであるが、安全性などを理由に次々中止になっていったようである。一度支笏湖にドライブした折、高校生たちがぞろぞろ歩いて支笏湖を目指していた。聞いたら札幌開成高校の生徒たちであった。今も行われているのかどうか知らないが、こういうきつい行事は生徒も大変だが、教員も事故が起こらないように、健康管理や道々の要所に立って指導するなど安全面でなかなか大変であろう。
ただ、ハードな障害物を設定し、それを自分の力で乗り越えさせるという体験は大事だと思う。やりきったことがもたらす達成感を若いうちに体験しておくことは一つの自信としてその後の人生に生きてくるのだと思う。総じて、時代の流れとしてそのハードルはどんどん低くなってきたように思う。
受験もそうだ。たとえば団塊の世代は生まれてからずっと競争にさらされて、もまれてきたのだと思うが、受験倍率を今と比べればとんでもなく高かった。相当頑張らないと大学に合格するのは困難だった。当時は受験戦争という言葉もあった。その状況については様々な批判もあり、確かにそうだとも思う。しかし一方で、それは現代では少なくなった青春期の通過儀礼的なものとして、越えていくしかないハードルとして擬似体験させるという側面ももっていたかもしれないとも思う。様々な民族や文化において成人として社会に認められるためには通過儀礼として何らかの困難な課題をクリアすることが求められるというシステムがあった。現在の社会ではそうしたハードルは下げられ続けてきて、それはそれでいいことなのだが、高い山を越えたという達成感が持ちにくいという点でいえば、受験の厳しさであれ、強行遠足のきつさであれ、青春期に経験しておくことの意味は大きいと思う。すべてを低く均して歩きやすくするだけでなく、その道に時に人為的にでも大きな石を転がしておくメリハリも必要だと思う。教師根性が抜けきらず、すっかり話がそれてしまった。話を戻す。(・・・続く)
定山渓への強行遠足は私が教員の時体験しました。ただひたすら歩くこと、本当にきつかったです!昔の女学生が歩いていたなんて驚きました。団塊の世代としての根性は鍛えられたと思います。
定山渓まで歩いて遠足!しかも夜中に。なんて楽しそうな行事なんでしょう😄同窓会の行事に取り入れてほしいぐらい🎵(笑)
根性をもう一回つけるために(笑)なんちゃって💦💦
同窓会の行事っていう発想は面白いかも(笑)若い人に企画してほしいですね。
『根性』のつけ方も時代の流れを感じます
でも同窓会の行事は柔らかいものでね(笑)
私(半世紀生きてます(笑))の時は、学校から藻岩山までの登山でした。それも中々ハードでしたねー。
今は交通量も多いし、物騒な事件も色々あるので、学校行事も大変だろうとは思います。
今の若い人達も基本的な部分では昔と変わらないと思うんですが、大人が先回りをし過ぎてる気がしなくもないですね。
同窓会だけじゃなく、何かイベントを企画するのも面白そうですねー
そう、登山するまでの歩きで疲れてしまいましたね。登山遠足の学年は避けたかったです(笑)
静修から、定山渓温泉まで…歩く⁉️
私には、無理です(笑)
夜中に出発した先生方の、ウキウキ顔が
無表情になっていく様子。
勝手に想像して、ニヤリとしています。
それでも、目標達成後の温泉♨️は気持ちが良かったろうなぁ。
帰りは…、
歩き?バス?
私の場合の帰りは家族に迎えに来て貰いました(笑)