#修学旅行(2)

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担任や学年主任として修学旅行に生徒を引率するとき、旅程や部屋割りや教員の仕事分担や緊急時の連絡先などのコピーを張り付け、1日ごとの行動の流れやその時々の出来事を記載するノートを毎回手元に用意して使っていた。そのノートを見れば、いろいろ思い出せるのだろうが、問題行動やそれについての経過や対処のメモなどといった生徒の実名の入った個人情報に関わる内容も含まれているために、退職する時にロッカーにしまってあった何冊ものノートをすべてシュレッダーにかけて処分してしまった。だから、断片的な記憶が、いつの学年のことだったか入り混じったまま頭の片隅に残っているだけである。

これは静修ではないが、大学を卒業して最初に勤務したのは千葉の田舎の相当やんちゃな高校で、暴走族や校内暴力が世相をにぎわせていた時期に重なる。ぼくはその中でも一番やんちゃな2クラスの副担任として関西方面への修学旅行の引率をしたことがある。裏に派手な刺繍をほどこした長い学ランで、眉を剃り上げたり、髪をリーゼントふうにしたり、わざとガニ股で肩をゆすって歩き、すれ違う他校の修学旅行生にガンを飛ばしまくって挑発したりしていた。1人1人だとそんな悪い奴等ではなかったが集団になると、時に手がつけられなかった。そんな時代だった。担任はかばんにバリカンを携行していた。問題を起こした生徒は夜、旅館の一室に連れて行って正座させ、バリカンで丸刈りにするのである。その丸刈り頭も、その生徒にとってはワルの証のようなもので、「やられちまったぜい」と勲章のように誇っていたような気もする。

京都の新京極近くの旅館に着いた時、まずぼくの最初の仕事は菓子折りを持って近くの交番に挨拶に行くことだった。前年だかに旅館の二階の窓から、下を通る通行人に水をぶちまけ、地元のワルを巻き込んだ騒動があったとかで、そのわびと今年も何かあったらよろしくと予防的に頭を下げに行く役回りだった。今でも、あのころ流行っていた矢沢永吉や山口百恵の曲が車のラジオから流れてくるたびにその頃が思い出されるのである。彼らも、今は地元の農家のいいおやじになって地道な生活をしていることであろう。

静修で、最初に担任として修学旅行に引率した時のこと。当時、生徒の部屋は旅館の大部屋であった。夜、部屋を見回りに行った時、暗くして寝静まっているふうを装い、突然、みんなで蒲団を持って襲って来たのである。何重にも蒲団をかぶせられ、その上から何人ものしかかってきて、布団蒸しにされたのであった。生徒のおふざけであったのだが、まだ若くて学生気分も抜けていなかったぼくは面白半分に一緒になって騒いだのだった。その後で谷浦先生に呼ばれ、きついお叱りを受けたのであった。(・・・続く

3 thoughts on “#修学旅行(2)

  1. バリカンで丸刈りって、今から考えると凄い時代だったなぁと思います(笑)修学旅行で一緒に騒ぐのはよくありましたね(笑)生徒に交じって同化していた時代もありました・・・・。

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