前回、授業でプリント配布した文章について書きましたが、もう一つ頻繁に引用したり、プリントして配ったものがあります。長田弘という大好きな詩人の『深呼吸の必要』(最近、文庫化されハルキ文庫の一冊として再刊行されました)です。詩というと馴染みにくい印象を持っておられる方も多いと思いますが、わかりやすい言葉を使って書かれていて親しみやすい詩です。
「きみはいつおとなになったんだろう。きみはいまはおとなで、子どもじゃない。子どもじゃないけれども、きみだって、もとは一人の子どもだったのだ。」という言葉で始まり、「いつおとなになったのか」という子どもから大人にかわるその切れ目を探す9編からなる「あのときかもしれない」という連作散文詩です。
ぼくは、息子の通っていた小学校のサッカー少年団の押しかけコーチをしていた時期がありますが、その子どもたちの練習や試合につきあうのが楽しくて仕方ありませんでした。グランドを駆け回る、そのきらきらした子どもたちの目を見ながら、よくこの詩を思い浮かべたのでした。
「子どものきみは、道をただまっすぐに歩いたことなどなかった。右足をまえにだす。次に、左足をまえにだす。歩くってことは、その繰りかえしだけじゃないんだ。第一それじゃ、ちっともおもしろくも何ともない。きみはそうおもっていた。こんどはこの道をこう歩いてやろう。どんなゲームより、どんな勉強より、それをかんがえるほうが、きみにはずっとおもしろかったのだ。
いま街を歩いているおとなのきみは、どうだろう。歩くことが、いまもきみにはたのしいだろうか。街のショーウインドウに、できるだけすくなく歩こうとして、急ぎ足に、人混みのなかをうつむいて歩いてゆく、一人の男のすがたがうつる。その男が、子どものころあんなにも歩くことの好きだったきみだなんて、きみだって信じられない。
歩くことのたのしさを、きみが自分に失くしてしまったとき、そのときだったんだ。そのとき、きみはもう、一人のこどもじゃなくて、一人のおとなになっていたんだ。歩くということが、きみにとって、ここからそこにゆくという、ただそれだけのことにすぎなくなってしまったとき。」
成熟の裏側にはいつも喪失が貼り付いているのだという感覚でしょうか。ぼくは、先のサッカー少年団の子どもたちが、小学校を卒業するのに伴う卒団式で、今はよく理解できなくてもいいと思いながら、プリントして配ったのでした。いつか大人になった時、しょぼくれて「うつむいて歩いている」自分の姿を見るようなことがあったら、あのきらきらしていた少年時代を思い出して、もう一度元気を取り戻してもらいたいと思ったのでありました。
その子どもたちも今はもう結婚したり子どもがいたりする年齢になりました。たまに会ったりすることがありますが、「せのおのおじさん」と親しく声をかけてくれるのがうれしいのであります。
ついでに似たようなテーマの中桐雅夫という詩人の「会社の人事」という詩(「会社の人事」(晶文社)の一部を引用してみます。
「日本中、会社ばかりだから、/飲み屋の話も人事のことばかり。/やがて別れてみんな一人になる、/早春の夜風がみんなの頬をなでていく、酔いがさめてきて寂しくなる、/煙草の空き箱や小石をけとばしてみる。/子供のころには見る夢があったのに/会社にはいるまでは小さな理想もあったのに。」
乳幼児であれ、小学生であれ、中高生であれ、そのそれぞれの時間は一回きりの時間ですから、特にその成長期の時間は早く流れて二度とは戻らない時間です。毎日が同じことの繰り返しであるような停滞した日常の時間にはまってしまった大人には、そうした成長期の現在を生きる子供たちの姿は一種の喪失感を伴って、現在との対比でいっそう輝いてまぶしく見えるのかもしれません。
みなさんは、自分が「一人のこどもじゃなくて、一人のおとなに」なってしまった境目はどこにあったのでしょう。長田はその詩の中で、父親の孤独に気がついた時とか、「こころが痛い」としか言えない痛みを初めて知ったときとか、いろんな境目を探ります。振り返ってみられたらいかがなものでしょう。意外と答えはむつかしいかもしれません。
この長田の詩を卒業式前の最後の授業で生徒に配ったこともありました。今年ももうすぐ卒業式シーズンです。
一人の子どもじゃなくて、一人の大人になった境目。私は教員になって最初の授業あたりだったように思います。もう子どものままじゃあいられない、と思ったかどうか(笑)自分の一挙手一投足に注目されている緊張感でガチガチだった記憶があります。
みなさんはどうでしょう?
『大人になった境目』
自分が大人になった日?考えたことあったかな?もしかしたらまだ、と言えなくもないかも。ただ親の手から離れ自立したのは高校卒業式の次の日だ!大阪へ飛び立ちました✈
しかし大人になったとはこの頃まだ言えない。いつだろう・・・。う~ん(;・ω・)
100万回生き返ってようやく大人になれるかも。
ニートなどは親の脛をかじっているから何歳であっても大人になっていないし……。普通は社会人になって給料を貰った時でしょうか。
『猫のお話し』
父「これから家族会議を行います。みなさん集まって下さい。え~知人から猫を飼わないかと話しがありまして、どうですか?みなさん猫」
子供二人「飼いたい❗飼いたい❗」
母「お母さん大変じゃん。ちゃんとみんなで面倒みれる?ぜったいお母さんが全部やるようになるんだよ」
子供二人「やるやる!ぜったいやるから」
この日は飼う飼わないの決定はできなかった。そのまま数日が過ぎ
父が帰ってきた。ニャーニャーと小さい声がする。
手にはペット用のかごかばんのような物を持っている。
みんな「え?え?」
母「ちょっと~」
開けて子猫を見たとたん
あまりの可愛さにみんなで取り合い。
飼う飼わないの議論はどこへやら。
そして19年生きた猫。もう猫じゃない家族の一員でした。
続く
ペットを飼うときの家庭では大体こんなやり取りが想定されますね(笑)飼ってみるともはやペットではなく家族の一員。(*^^*)